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塩谷丸山629m✮1年振りの山スキー✮2016.3.21

2016年3月21日(月)3連休の最終日、19日のリベンジ山行ということで塩谷丸山に登ってきました。登り1時間35分、下り45分、天候にも恵まれ360度の大パノラマを堪能しました。

山行の登りは重力に逆らう動きなので、誰でも辛いものです。私は苦しさを紛らわすため、心身を切り離し、別なことを考えることにしています。
例えば今日の昼飯のこと、稜線のロケーションのこと、家族のこと等、そして登山所在地域の郷土歴史(地域の郷土史を事前に確認している)のことに思いを馳せながらの山行は苦しさを紛らわす手段なのです。そんなことで今回もこの地域のことを事前に調べ参加しました。

<塩谷の郷土情報>
塩谷は、1958(昭和33)年までは、「塩谷村」という一つの村でした。塩谷では縄文土器などが多数出土されていることから、早くから人々が暮らしていたものと思われます。 その後アイヌの人たちが暮らし始めました。江戸時代になり、本州方面から移住者、いわゆる和人が渡ってきます。塩谷周辺に、松前藩(現函館市周辺)の知行地(ヲショロ場所)が開かれていた、と言われていたそうです。
明治時代に入り北海道開拓が始まり、塩谷周辺は「忍路(おしょろ)郡」として開拓使におさめられ、地域名は「忍路郡塩谷村」になります。
1906(明治39)年、忍路郡の忍路村、桃内(ももない)村、蘭島(らんしま)村が合併して塩谷村になりました。
大正・昭和の初期を経て、1958(昭和33)年、小樽市とその西側にある塩谷村が編入され、塩谷は小樽市の一部となり、「塩谷村」は消滅します。明治・大正・昭和と、50年以上に渡って塩谷村は独自に自治を行っていたということになる訳です。
現在、年配の人の中には、「市内中心部に買い物へ行く」という意味で、「小樽へ買い物に行く」という人がとても多いのですが、それは、塩谷村だったことの名残です。そんな年配の方たちの会話を聞いて育った子どもたちも、なんとなく、「小樽へ行く」と使ってしまうっていうのが、ちょっと面白いです。
      ・・・・参考文献:小樽市史。塩谷物語など

約3500年前、塩谷に居住していた縄文の人々は無尽蔵にある貝や、川に遡上する鮭を捕獲し、春や秋には丸山にも登り、ウドやフキやタケノコを採取し、時にはシカやクマなども捕獲し、囲炉裏に収穫物を放り込んでバーベキューにしたり、縄文土器に貝の出汁をベースに煮炊きし、豊かでグルメな食生活を送っていたと想像できます。きっと眼下に広がる360度の大パノラマに感動し、毛皮の衣類をまとい、槍を天に向かって突き上げながら雄叫びをあげていたことでしょう。(私の勝手な想像です。)

<トラックログ>
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<登山口>10:21出発
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<エゾノリュウキンカ(蝦夷立金花)>やちぶき(谷地蕗)とも言う
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<エゾノリュウキンカZoom>春の気配を感じます。
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<標高500m付近>見晴らしが良くなる
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<塩谷丸山ピーク>風を避け祠前で昼食 11:56
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<小樽方面>
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<塩谷市街>
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<余市方面>
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<登山口到着>13:08 中央奥の山が丸山
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一年振りの山スキー装備による山行で、体力的に不安でしたが、何とかピークに立ち、360度の大パノラマを堪能することができました。


・・・・。
by gwxwy002 | 2016-03-22 19:13 | 登山

アウトドア中心に趣味にまつわる出来事を!


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